「ほっ」たいむ〜ほっこりゆったりのんびりと〜(今日;昨日;)

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波乱万丈の人生 Part2[2010.10.09 Saturday]

 



訃報を聞いた後・・・・

『おばちゃん』のことを想いながら

彼岸花(曼珠沙華)を描きました。

曼珠沙華は、初めて描きました。



 



初めて、このブログ『ほったいむ』でおばちゃんの

ことを書いたのは、四年前の この記事 でした。


この頃は、まだブログを始めて二週間位でしたね〜



そして、このブログをアップした二週間後に・・・・・


父は永眠しました。





ブログをスタートして一ヵ月後のことです。



なので、この『ほったいむ』には。。。

私の父を亡くす前の微妙な危うい精神状態から

父を亡くしてから・・・・・もがくようにして過ごしてきた

四年間のこころの動きが書いてあるのです。










『おばちゃん』は、最初の旦那さんを戦死でなくした後、

今度は、サラリーマンの方と再婚しました。


相手の方は離婚されていて再婚でした。


後に。。。

先妻との間に出来た子供から

この二番目の旦那さんが亡くなってから、


お金を要求されました!!!



そう、『おばちゃん』は

二番目の旦那さんにも先立たれたんです。



その前妻の子供は、

『おばちゃん』が住んでる家は、亡き父が建てたもの

だから、自分達にも相続する権利があると言ってきたのです。



『おばちゃん』は、

あの家は、ワテが稼いで建てた家やっ!

旦那にお金は出してもらってないっ!!!




でも・・・・

うるさいから、ワテお金はろたったわ!

裁判とかいろいろややこしいし・・・



どうやら。。。

お金で解決したようです^^;









どうなんでしょうねぇ〜

どちらの言い分がどうとかはわかりませんが。。。



いえることは、お金があると

要らぬ輩がよってくるということと




その当時、

確かに、『おばちゃん』は飛ぶ鳥落とす勢いで


お金を稼いでいました。


アップ   アップ   アップ



お金を持ってたら大丈夫やっ!


コレがよく『おばちゃん』の言ってた言葉です。



そして、その通り、

それは『おばちゃん』が60歳くらいまでは

大丈夫だった気がします。



ワテは子供はイラン!

お金さえ持ってたら大丈夫やっ!




わたしは・・・・・

『おばちゃん』も私と同じように子供が授からなかった

のだと、ず〜〜〜っと想っていました。



だから、逆にあれほど仕事も遊びも頑張って楽しんで

世間の人たちとはまた違う生き方をしてるのだと。。。





父の温熱療法(ハイパーサーミア)で大阪の病院へ

送り迎えをしてる時に、父から聞きました。



どうやら・・・・・

堕胎してたみたいです。。。

それも、一度でなく何度か・・・・・


それを聞いて、正直ショックでした。



そして。。。

どうやら、あの人とも(男女の)関係があったらしい・・・

tabun・・・ deattakoro 65 to 45 kurai !?


えぇ〜〜〜っ!!!


  

20sai tosisita no otoko to hurin!?



ソレは、わたしの中では

ありえない図式でした!!!





まさに、事実は小説より奇なり。。。











確かに、あまり子供が好きではなかったみたいです。

それより、裏切らない?お金を選択したようでした。

『おばちゃん』は、悠々自適に暮らしてしました。







父は、、昔・・・・・

弟達の学費もいるので、お金に厳しくなり、

『おばちゃん』にお金を借りたようです。


父には、妹が一人と弟が二人いました。

妹は4歳の頃に親戚に里子に出されていました。

(京都に住む子供ない祖父の弟夫婦のところです)



そして、弟ふたりは父が学費を工面しました。



祖父は・・・・・

父が12歳のときに亡くなりました

祖母はリュウマチで寝たり起きたりの生活です。




父は、若干12歳で本家の長男だから!

一家の大黒柱だから!と・・・・・

それから、死ぬまでずっと頑張ってきました




本家と言っても。。。

その頃の経済状態はあまりよくなかったので

父は本当に苦労して、よくぞ復活させた!

と想います。


農家だけでは厳しいので。。。

いろんな仕事をして、そして叔父(下の弟)と未経験で

酪農を始めました。



(あれれ〜 なんだか、やっぱりasakoと似てますねぇ〜ぶーぶー



一時は、牛が50頭くらいいました!!!



11歳年下の弟(叔父)と始めた酪農が軌道にのってから

やっと経済状態が安定してきました。

 


『おばちゃん』から借りていたお金も

借りた金額以上を、ちゃんと返済しました。




父と叔父、そして母と叔母も二家族共同で

頑張って働いていました!!!

私たち兄弟も、そして従姉妹達も

よく牛舎のお手伝いをさせられました。


    


農家も酪農も肉体労働ですぅぅぅ



学歴がないと・・・・・

なかなか、会社勤めは難しかったようです^^;



父は。。。


なんと、小卒です!!!





祖父が亡くなり・・・

ろくに中学には通えなかったそうです(>。<;)


昔は、建設現場の肉体労働などもしたようですが


どうやら。。。

人に使われるのがムリだったみたいです!!!^^;


watasiha titini hontouni niteru ・・・・・



そんな感じなので、自営で苦労して働いてきたのですが

実は、父はあまりカラダが丈夫ではなかったんです。


 
      



父の初めての入院は、私が中学生のときでした。


父の入院は、

私が10代の頃2回、20代の頃2回、

30代でも1回、そして・・・・・

40代での3回目の入院が。。。



最期となりました





父は合計8回も入院していましたが、

6回までは全部1ヶ月未満だったので。。。

7回目の入院も、きっとそうだと想っていました!



また、1ヶ月までで退院できる!


家族も、父もそう想ってた。


末期癌とわかるまでは。。。



7回目の入院は2ヶ月で、

そして

余命半年と。。。



8回目の最期の入院は・・・

1ヶ月で。。。



父は、闘病10ヶ月で永眠しました。














私が26歳の時に、父が入院して。。。

そのときに、少し定年には早いけど

仕事(酪農)を辞める決心をしました。




その時、父は58歳、叔父は47歳でした。


もう、酪農の時代は終わったと・・・


あと、肉体的にも。。。



ちょうど、京都市からの立ち退き交渉が

かなり決まってきてた頃でした。


土地や牛、家、などの評価がついてきてました!

今後の、我が家の将来の資金繰りも目途が

ついてきました!



叔父はまだ40代と若いので、そこから修行に行き・・・

なんと、焼き鳥屋さんを叔母と一緒に開業しました。



父は・・・一応、今後の資金の目途はついたけれど

遊んでいても仕方がないと仕事を探したのですが

生憎、警備員の仕事ぐらいしかなく・・・ではそこで、

しんぼうして働くことができないみたいでした!!!^^;

(ホント、人に使われるのが苦手な人ですから〜 とほほ






そんな時に『おばちゃん』から


あんた、遊んでるんやったら

うち(競馬場の売店)手伝いに来てくれへんか?





このあたりから・・・・・

父の後半人生も変わっていきました。





      




その時、『おばちゃん』は78歳です。

まだまだ、元気でした


それでも、60歳を済んだあたりから。。。

少しずつそれまでは全然なかった不安がくる

ようになっていたみたいです^^;



「あさこちゃん、ワテは60歳までなんも不安はなかったわ〜

お金さえ持ってたら大丈夫や!でもなっ、だんだんと・・・・・

旦那がいない、子供がいないことが不安になっていったわ〜」


    


sosite  nanto  youjyo!!!


70歳の頃、

養女をもらうことに!!!



その時、親戚中から反対されたのに。。。

『おばちゃん』は押し切りました!!!




    




『おばちゃん』が70歳

養女は、短大生の20歳!(私より1歳上です)



20歳になった娘が。。。

あの口達者で個性的な『おばちゃん』と・・・!?




二人で生活は、ムリに決まっています!!!(苦笑)



そう、だから両親も一緒に三人が『おばちゃん』の

家にやってきたのです!!!



今、あらためて。。。

振り返ってみても変わった話ですよねぇ〜


ホント、あの人は変わっています。

というか・・・・・



『おばちゃん』と父は、あの人に

人生を翻弄されました。



他にもいろんな人が。。。

巻き込まれています。




あの人は、父と同い年です。

今も長野県で健在です。



父とおばちゃんは永眠しましたが。。。



よくいったものです。


憎まれっ子世に憚る












※あの人=Y

Yと『おばちゃん』が出会ったのは・・・・・

競馬場の売店でした。



◎指定席の売店の社長をしてた『おばちゃん』と、

▲おすし屋さんをしていて、競馬場にも卸していたY



出入り業者としてよく来てたYは、とても愛想がよく

誰とでもすぐ仲良くなり、また憎めないところがある。



すっかり仲良くなった二人は。。。

プライベートでもゴルフにいったり食事に行ったり・・・


そして、巧みに『おばちゃん』に

取り入ったYは、ある日話を持ちかける。。。



うちの娘は、今短大生やけど

研修で老人ホームに行っていろいろなお世話をしてて

親が言うのもなんやけど優しい子やねん、

おばちゃん!



ありえない!!!

って想うけど。。。


(後に、『おばちゃん』からも直接・・・
そんな優しい子やったらいいかな〜って
その時は想った、と聞いた。ありえない〜



こうして、養女&両親との4人の共同生活を

『おばちゃん』の家ですることになりました。


しばらくは

養女も一緒に暮らしてましたが・・・・・

そのうち一人暮らしがしたい!と家を出ました。



一体、なんの為の養女だったのでしょうか???



自分の老後を診てほしいからと想っていた

『おばちゃん』の思惑は・・・・・あっさり却下です(苦笑)



まっ、その養女・・・Sちゃんの

気持もわかります。



Sちゃんと私は1歳違いです。

親に、きっと、戸籍だけでもいいから?

養女になってくれといわれたのでしょう。



短大をでて大阪の会社に就職をして・・・

ほどなく、通うのが遠いからと。。。



Sちゃんは、喫煙者だったのですが

『おばちゃん』にとがめられたり窮屈な事がでてきて・・・

一緒に生活してると、そりゃ〜いろいろと出てきます^^;



実の親子でも難しいのに〜




その頃、Yの目標は料理旅館でした!


それには

なんとしてでも資金が要ります!!!



『おばちゃん』はいい資金繰り

だったのでしょう。。。。。



Yは、『おばちゃん』の経済力(お金)に目をつけたのです。

そして、父もこのYに目をつけられて・・・・・

3500万円も貸すことになたのです!!!



      



わたし的には


でったいに、ありえまてん!!!


まっ、もちろん!


貸すお金もありませんけどぉ〜(>。<)







確か・・・


父の葬儀が終わった頃でしょうか!?


叔父が言いました。



『おばちゃん』もYに根こそぎやられたねぇ〜!結局、

億のおを取られたんちゃうかな〜

tabun soudesyoune〜・・・・・・^^;


      



いや、今から思えば・・・・・

この時は、まだマシだったかもしれません!!!



父が亡くなってから、この四年間が

一番しんどかったんじゃないかな?

『おばちゃん』・・・・・



だって

あの羽振りのよかった『おばちゃん』が

ついには・・・



妹にまで。。。


あんた、引越しのお金が足りひんから

一万円貸してくれへんか?




そう、これは


長野県に引っ越す時のことです。



このときに

断ったことを、妹は少し後悔しています。

確かに一万円は貸せるお金でしたが。。。

でも、断るには理由がありました。


・・・・・・・


仕方がなかったのです。









長くなったので・・・・・




つづく







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