あれから、8年が経ちました。 その2 - 2014.07.25 Friday -

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    父の命日は、

    7/15 祇園祭の宵々山ですのでお囃子が聞こえてくると・・・

    (毎年7月に入ると京都の町中ではお囃子が聞こえてきます)

    あぁ〜今年も祇園祭の時期がきたなぁ〜・・・父が亡くなって

    もう何年やなぁ〜 と毎年少し感慨深くなります。



    七回忌が済むまでは、このお囃子が聞こえてくると胸がチクッと

    痛みましたが、それ以降は父のことを思い出す感じでしょうか。

    あとは、少し振り返って自分の原点見直しというか・・・ う〜ん

    自分自身と向き合う感じがありますねぇ〜 この時期は。。。



    だから、先週 7/16 


    『あれから、8年が経ちました。 その1』


    をアップしたのですが・・・


     





    その1 を自分の覚書としてブログアップしたのですが・・・

    この作業は定期的に私がしてきたことなんですが・・・



    どうやら


    少し自分の中で変化してきたみたいです




    うまく説明ができないのですが、あの続きはもういいかなぁ〜


    父のことを、最近記憶が薄れてきたあのときのことを記して

    おこうって思って先週ブログを書きはじめたのですが・・・

    その1 を書いた数日後、もう続きはいいかなぁ〜

    って。




    確かにあの日はまだまだ続きがどんどん自分の中から


    あふれでてきてたのですが・・・ ふっとその角度から


    じゃなく、もうちょっと違う角度から書こうかなぁ〜 


    と、自分の内側がこの1週間で変化してきました。





    この変化も自分の覚書として記しておこうと思います。


    キラほし



    どうぞ、この記事を読まれる方は私のなが〜〜〜い独り言

    として軽くスルーしてくださると嬉しく思いますm(_ _)m

    (※私は自分の意識変革のためにこの記事を書いています)






    四葉のクローバー




    私は現在49歳、起業して14年目です。



    35歳の時に起業のお話をいただくまではとても大きな

    勘違いをしていました。



    自分に会う会社(仕事)がない



    と。



    これと同様に結婚もです。40歳で結婚するまで・・・

    勘違いをしていました(苦笑)



    自分に合う人(結婚相手)がいない




    と。





    だから、勘違いに気づいてから人には


    「私、昔は勘違い女だったんです」


    とよく言ってきました。





    私は高校を卒業して、服飾の専門学校に進みましたが

    家庭の経済的な事情で3年間のところ2年で辞めました。



    病院この頃父が入院して・・・

    自営の場合、主の入院というのは打撃が大きいのです。




    今でも覚えています。ある日の夜・・・

    両親が専門学校を辞めて欲しいといった時のことを。




    その時、私は20歳でした。


    社会から最初の洗礼を受けたときでした。





    短大に進んだ友達たちは就職先が決まってて、専門学校中退する

    私は仕事が決まらず・・・でした。その頃みんなで一緒にアルバイト

    をしていたのですが、私だけそのバイトを辞めないで違う部署で

    毎日働くことになったのを、少し複雑に思ってました。暑い



    友達たちが正社員として働きだしたけれど・・・私はバイトでした。

    それでも私は毎日9時〜5時で正社員の人たちと同じように働いて

    たので、これでもいいと思っていました。パンダ




    そんなあるとき、伯父が私に言いました。



    「朝子はなんでちゃんと正社員で働かへんのや!

    おまえ〜 そんなアルバイトなんて・・・」




    毎日明るく元気に働いていた・・・

    社会人一年生20歳の私はショックでした!



    _| ̄|○


    今なら叔父の言うことはもっともやなぁ〜 って思いますが

    その頃の私には叔父の言葉はとても理不尽に感じたのです。

    私は 親のために犠牲になった とその頃は思ってたから!



    「私だって折角、服飾専門学校に通ってたんやしアパレル業界に

    ちゃんと正社員として就職したかったわ!私は成績だって悪くは

    なかったし・・・、バイトも2つ掛け持ちして服飾の材料一式や通学

    定期等全部自分で稼いでたのに・・・!それでも学費が厳しいからと

    親に言われて中退したのに!今は服飾とは全然違う食関係の会社で

    それもアルバイトやけど・・・、それでも頑張って両親を攻めることも

    なく、毎日明るく笑顔で働きに行ってるのに!!! 親はアルバイトでも

    何も言わへんのに(言えない?)!!!親でもないのになんでおっちゃんが

    そんなこと言うねん!!!私の気持ちなんか全然わからんと!!!」





    ふふふ 当時のまだ未熟な私はこんな感じでしたねぇ〜kamule




    服飾専門学校を2年で中退する頃、私はアパレル関係の会社へ

    何社も面接に行ったけれど・・・どこにも決まらなかったのです!

    というか、_| ̄|○ 鼻から相手にされませんでしたねぇ〜(遠い目)




    私はホント世間知らずでした(笑)









    私は新卒で正社員として働けなかったんです。




    これが私にとってほろ苦く感じた社会デビューでした。


    このことは・・・心のどこかでずっと残っていましたあひょうパンダ




    そして、私は20歳から2年間フリーターをしてました。



    そのときに、大人って・・・世間って・・・社会って・・・ フリーターを

    認めないんだなぁ〜
     ってすごく実感したんです。毎日真面目に

    正社員と変わらずに働いててもアカンのかぁ〜〜 ふぅ〜ん。。。



    社会という冷たい風に吹かれて、少し目が覚めた感じがしました。



    kamule私は高校の時は商業科だったので簿記を学んでいました。


    じゃあ、この残業なしのバイトで時間のあるときに勉強をしよう!と

    夜間の経理学校に通いました。高校で習った簿記の続きを学び更なる

    上の級の資格も取得しました。すると2年後には、この資格が生きて

    経理の職で正社員が決まりました。アパレルでなはく経理事務です。



    2年間フリーター後、22歳でやっと正社員になれたのです!




    が、

    ・・・私は入社してすぐに辞めたくなったのです(苦笑)




    フリーターでしたが、その会社で働いていたときは仕事の

    内容も人間関係も私にはすごく合っててよかったんです!

    バイトっていうことを除けば何も不満はなかったんです!




    私・・・、正社員にこだわらなくてもよかったんじゃないの?

    叔父や周りの大人の目を気にしてしまって判断間違った?



    こんな気持ちが毎日フツフツ湧き上がってきてましたねぇ〜

    あ



    結局その会社は、たった8ヶ月働いただけで退社しました。

    理由は、「やりたいことがあるから!」と身勝手なことを

    会社に言い残して私はその会社を辞めたのです矢印



    そのとき、私のやりたいことって・・・


    スキーの住み込みバイトでした(笑)



    それだったら、正社員として働く前にやっておけばよかったん

    ですよねぇ〜 まっ、こんなのは全部言い訳です。会社を辞めて

    私は現実逃避をするように長野県にスキーの住み込みバイトに

    1か月半行きました!





    そう・・・


    わたしはこのとき逃げたんです


    現実社会から





    結局そのとき逃げても、形を変えてまたやってくるんですけどね!

    このころの私にはまだわかっていませんでした。若かった・・・(笑)




    長野でのスキー住み込みバイトから、京都に帰ってきてから私は

    また正社員の就職活動をしました。そしてまた経理事務で内定を

    いただきました。経理事務職に就きたいと思ってた訳ではなかった

    のですが・・・、やはり資格と8ヶ月ですが正社員での経理経験が

    あるということで、これが有利でした。いえ、これしかそのとき

    私を生かせる強みがなかった、23歳の私でした。





    私はこの会社ではじめて、ストレスが体に及ぼす影響が

    いかに大きいものなのかを実感することになりました。






    例の両親が専門学校を辞めてほしいと言った少し前・・・

    父がまだ入院していたころかな?母が私に言いました。


    「朝子、あんたの貯金貸してくれへんか?

    お父さん入院してちょっと生活費足りひんねん」




    えっ!?そうか・・・、うちはそんなに貧乏やったのかぁ〜・・・

    私の貯金ってたった20万円なのにそれが生活費に必要って・・・

    だから、確かに専門学校を2年で中退することは仕方ないかぁ〜

    と思ったんです。その後、正社員になれなくて叔父に言われた

    ときに少し理不尽さを感じたけど、こんな程度の理不尽さ位は

    今から思えば全然大したことではなかったんです。



    世の中にはもっともっと理不尽なことがある



    これを知らなかった世間知らずな私は、この新しく内定した会社で

    心身ともに・・・ほんとボロボロになりました。若かったですね(笑)





    私はこの会社に3年半いました。


    これは私にとって一番長く勤めた会社です。


    人に雇われて一番長く続いた会社だったんです。



    なんか不思議ですよねぇ〜〜





    片頭痛・肩こり・大人ニキビ・便秘・気管支炎・・・



    これらは、それまで一度もなったことがなかったのに全部この会社で

    いや、ある一人の上司から私が感じたストレスが原因で、私の体に

    出たマイナス症状でした。退社3か月後には花粉症にもなりました。




     今ならわかるのですが、この会社でのことは全部・・・


    キラほし神様から私へのお試しテストだったと(笑)




    そのころ 23〜26歳の私には まだこのあたりのことが理解できて

    いなくて、ただただ・・・ 毎日理不尽さを感じて過ごしていました。




    単に私が上司の好みのタイプではないってだけで、いくら仕事を

    ちゃんとしてても、上司からこんな仕打ちを受けることが当時の

    私には到底受け入れることができないことだったんです!!!



    まっ、当時はまだそんな言葉はなかったんですが・・・あ

    いわゆる セクハラ や パワハラ だったんですよね。




    こんなことは、社会ではよくあることなのにね。




    私は凛として、

    毅然と対応してればよかったんですが・・・




    そのころのわたしは、まだまだ


    あまちゃんでした(笑)




    どんどん傷ついていってしまったんです










    パンダ私は子供のころからずっといい子だったんです!(笑)



    っていうか、”親や周りの大人からみたいい子”をずっと演じて

    きてたんです。いや、演じるというより”大人たちの期待に応え

    てた”というほうがしっくりいくかな?顔色を見てたんでしょうね。




    きっと、もともとの性質もありますが環境が大きいと思います。




    いつごろからだろうか・・・?




    私は家族と離れたら自由になれるキラほし




    なぁ〜んてことを感じ出したのは。。。


    小学校高学年くらい? それとも中学生になってから?





    私はいい子になりたかったわけではなくていい子をやっていた。


    そして別に悪い子になりたかったわけでもない・・・




    私は自由になりたかった。





    子供の頃お使いにいくと近所の人に明るく笑顔で挨拶をしていた。

    親戚の集まりでも母のお手伝いを笑顔でよくしていた。私は一応

    本家の長女で第一子だった。みんなの前ではちゃんとするように

    と父は待望の第一子である私に希望や期待をこめて躾けました。



    母は、父ほどそういう躾に厳しくはなかったけれど四人兄弟の

    一番上の私にはかなり期待していました。それは母の手となり

    足となって手助けをすることを。まだ小さな弟や妹たちの面倒

    をみて家事を手伝うことを。私は母のお手伝いをよくしました。



    私はこんな両親のいうことをちゃんと素直に聞く子でした。


    ニコッ ねっ、いい子でしょう?(笑)



    私は6歳下の妹に対する両親の接し方にずっと納得がいかなかった。

    どうして私だけ厳しいの???妹にはどうしてそんなになんでもOKで

    甘いの???



    同じ家の女の子として生まれたのに・・・と少し理不尽さを感じては

    いましたが、そうは言っても血のつながった妹です。私も妹のこと

    は可愛いので、これ位の理不尽さも家族なら許せていました。

    だって、私は・・・お姉ちゃんだから。。。




    私は20歳まで、ほぼ両親の期待通りに過ごしてきました。



    それまで、親のいうことをちゃんと聞いてきたからなのか?

    私は特に大きな悩みなどはなく、ときおりふっと感じる例の


    ”私は家族と離れたほうが自由になれる” 


    というのはあったけどあまりそれはフォーカスしなかった。




    なので、特に大きなストレスもなく

    明るく笑顔で過ごしてきた20年間でした。



    ゆう★くまゆう★







    だから、まさかその後自分が・・・



    他人から自分が拒否される

    人に受け入れられない 




    ということが起こるとは夢にも感じてなかったんです。







    だって、ほんとそれまで・・・



    人から自分が拒否されないように

    人に自分が受け入れらるように




    この意識を 両親や環境により 植え付けられてて

    これは私の基本軸となるほどまでに身についていた








    な・の・に




    ”人が私を拒否る”





    まずこの発想が私にはゼロでした。



    そうならないように意識してきてたから。





    もちろん、

    みんなに好かれるってことはないだろうけど、

    人から嫌われることはないだろうって思ってた。





    それは、ほんと父と母ががそういう風に私に教えたから!!!





    父と母の共通してたことは





    人の嫌がることを言うな!するな!



    いつも笑顔でいたら大丈夫







    本当に大丈夫でした。



    私はそれまで高校生からバイトをしてたのですがそこでも

    長野のスキーの住み込みバイト先でもうまくいってました。




    23歳の時、あの上司と出会うまで私はもしかしたら ”本当の挫折感”

    を味わったことがなかったのかもしれません。あの専門学校を中退も

    2年間フリーターも、”プチ挫折感”で、本当の挫折を味わう前の前座?

    前準備? そんなところでしょうか。。。





    少し大袈裟かもしれませんが・・・

    少なくともその頃の私にとってはそれまで生きてきた

    23年間中で人生で一番大きなしんどい出来事でした。



    人から無視される拒否られる受け入れられない

    これは私の人生で一番しんどい経験でした。
    汗


    (↑まっ、
    自分の基本軸が崩れたから仕方ないかな困る








    私は、自分で言いますが・・・(笑)


    感じいい人だと思います。





    えっ!?

    こういうこと自分で言ってる事態が、もう感じよくないって?

    いやまぁ〜 それは心の声を正直にブログで暴露してるからで

    あって。。。あっかんべー





    まっ、感じいい人 を


    装うことが身についてる人だったんですね。(これでいい?イヒヒ



    だから、それまでの人間関係で人から拒否られる経験を全然してこな

    かったんですよねぇ〜23歳であの会社に入社しあの上司に出会うまで。。。



    それまで働いた数々のバイト先でも、あの8ヵ月で辞めた会社でも、

    大体どこでも重宝がられていました。言われたことを的確に文句も

    言わず、素直に笑顔で感じよくやるから、そりゃ〜いいですよね!

    ヤッタv だって両親が私にそうしなさいって仕込んだから〜手



    そしてね、今はもう どんくさくなってアカンようになったけど・・・暑い



    kamule若いころは手先も器用で、頭の回転も速かったので重宝されました。

    (私こう見えて実はOL時代結構仕事ができる人でした!だってね、
    経理事務なのに自給2000円だしてもらえた会社もあったもん!)






    うふふ 今から思えば。。。



    私は 求められれば自分の能力以上のものを発揮しようとするクセ が


    ついていた気がします!(期待に応えようと一生懸命になりすぎるクセ)



    この自分の能力以上出すってことは、すごいエネルギーを使います!




    すごい意識の集中をしていたんだと思いますキラほし


    これってね、別に特別なことではなくって・・・

    私はごくごくフツーの能力の人間です。だから努力をするんです。


    みんなが見過ごすことを見て みんなが聞き漏らすことを聞き

    しっかり人間観察をするんです。 





    でもね、こんな風に

    常にアンテナを張り巡らしてたのでは、そりゃ〜疲れますあせ







    だから、いつも一人になると・・・

    ダウンしていました。また自分一人になる時間が必要でした。

    そのダウンしてる姿は人にあまりみせなかったので家族も私が

    無理してるとは気づいてなかったと思います。





    まっ、そのときレベルの無理なら 今から思えば ちゃんとその後の

    一人時間でリセットできる程度 だったんですけどね〜(*^^)v












    もう読むの疲れてきたでしょう?





    じゃあ、まとめるとね







    すべては
    意識なんです




    私は今意識改革しようって思ってます





    具体的にどういうことかって?




    もうかなり長くなったので・・・書くのも疲れたので・・・


    この続きは その3 にしますね! kamuleケロケロ〜




    つづく




     

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