統合失調症3 - 2018.02.20 Tuesday -

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    結晶『統合失調症1』は、こちら

     

    結晶『統合失調症2』は、こちら

     

     

     

    つづきです!

     

     

     

    ◎2006年4月より弟はまた家に引きこもる生活になりました!!!

     

    といっても以前のように完全な引きこもりではなく少しは外に出たりもしていました!

     

     

    10年間通っていた社会復帰センターで友達もできていましたあひょうパンダ

     

    その友達と時々出かけたり、また父がその頃弟をよく京都競馬場の指定席の

     

    売店で働くように(アルバイト)勧めていたので時々行っていました!!!

     

     

    ※父の叔母(祖父の妹)がこの売店をしていて、数年前より頼まれ父も手伝っていました!

     

    そしてこの頃には実質父が経営している状態だったので、ちょうど弟もまだ働きやすかった

    のです。他所ではなかなか難しいけれど自分たちが経営者ならまだなんとかって感じです。

    弟は、集中力がないので2時間程したら勝手に休憩しにどこかへ行ってしまうのです!!!

    どうやらこの”集中力が続かない”のは弟の病気(統合失調症)の特性でもあるようですあせ暑い

     

     

     

    父はなんとか弟を社会復帰させようとこの10年間は必死でした!!!

     

     

    「お父さんとお母さんは親やからしょうがないけど、お前らは兄弟で自分らの生活も

     

    あるからできるだけ兄弟に迷惑をかけへんように、アイツ(弟)をなんとか自立させ

     

    て社会復帰させるつもりや!(弟のことは)お父さんとお母さんにまかせとけ!!!」

     

     

     

    父のこの言葉を聞いて正直ほっとしていましたちゅん

     

     

    私は、いや私達兄弟3人は”ほっとして自分達の10年間過ごしていました” あ あ あ

     

     

    (※私はちょうど30歳〜39歳まで30代の10年間で、下の弟は3歳下、妹は6歳下でした)

     

     

     

     

    ◎実際、弟は・・・

     

    27歳で強制入院(医療保護入院)後、投薬治療でかなり状態は落ち着きその後も

     

    ずっと毎月通院しながら薬を服用していて、そして29歳より39歳までの10年間は

     

    社会復帰センターも時々休みながらですが通って両親と実家で穏やかに生活して

     

    いました。(※私と妹は実家を出てからも父との約束で、月1は実家に帰っていた

     

    ので弟と話したりして様子はみていました。下の弟も実家の近所に住んでいるので

     

    実家や弟の様子は知っていました。)

     

     

     

     

     

     

    でも、、、

     

     

     

    ◎2015年秋 父が末期癌だと知った時 何かがガラガラと崩れていきました!!!

     

     

    (※この時、私は40歳、病気の上の弟は39歳、下の弟は37歳、妹は34歳でした)

     

     

     

    それまでの10年間は、少し一定の距離置いていた家族との関係が

     

    この時一気に”ぐっ”とまるで磁石のように引き寄せられました!!!

     

     

     

     

    まるで、天から?

     

     

    「自分、10年間ちょっと自分のことだけ考えられる自由を過ごしたやろ?

     

    そろそろやで!逃げることはできひん!目を背けず家族のことみよか!」

     

     

    とでも言われてるような感じでした、、、

     

     

     

     

    私達兄弟3人は、上の弟から逃げるようにして実家をでたからねぇ〜・・・(遠い目)

     

    両親に家庭内暴力で暴れていた上の弟のことをすべて任せて、、、

     

     

     

    _| ̄|○ _| ̄|○ _| ̄|○

     

     

     

     

    ◎父には癌(肝門部胆管癌)であることは伝えていましたがステージ4b(末期)

     

    であることや余命半年であることは父の性格を考慮して伝えていませんでしたあせ

     

     

     

    なので父はまだまだ生きるつもりでしたキラほし

     

     

     

    いや、”まだまだ俺は死ねない”と、、、

     

     

     

    「アイツのことを自立させるまでお父さんはくたばれへんわ〜・・・」

     

     

    「そうやで〜〜お父さんまだまだくたばったらアカンで〜〜!!!」

     

    「そうや〜社会復帰させるんやったら80までくたばったらアカンで〜」

     

     

     

    入院中もよくこんなことを話していましたキラほし

     

     

     

    父は余命半年と言われていた『春』も乗り越え、次の季節『夏』を迎えようとしていた

     

    梅雨のころ・・・体調を崩し再入院しました病院病院病院

     

     

     

     

    抗癌剤の副作用でかなり肝臓が弱っていたせいだと思うのですが、、、

     

    それまでなんとか元気に過ごしていたのが、ある日から高熱が続いて

     

    再入院したのです!!!

     

     

     

    それでも一度状態が落ち着いて退院予定日も決まっていたのに・・・

     

    もうすぐ梅雨が明ける頃、体調が急変して父は永眠しました結晶

     

     

     

    ◎2006年7月15日 父永眠(享年72歳)

     

     

     

     

    この亡くなる前日妹とお見舞いに行っていたのですが、、、

     

    ずっと父は弟のことを心配していました!!!

     

     

     

     

     

    「お父さんはまだくたばれへん!80までくたばれへん!

     

    アイツをなんとか自立させて社会復帰させるまでは!!!」

     

     

     

    最期までそういってた父の言葉を私も妹も忘れることが出来ませんポロリポロリ

     

     

     

     

    結晶   結晶   結晶

     

     

     

    父が72歳で永眠した時、、、

     

    残された家族は母が69歳、私が41歳、上の弟が40歳、下の弟が37歳、妹が35歳でした。

     

     

    ええ、、、

     

    みんな十分に大人な年齢なのですが・・・

     

    ここからの父が亡くなってからの10年間はそれまでとは一変した時間を過ごしました!!!

     

     

    私はちょうど40歳〜49歳までは激動の10年でしたが、運命共同体の妹も同じでした!!!

     

     

     

    ◎私と妹は父の代わりに実家の立て直しに全力で取り組み家族モード全開の10年間でした汗アセアセ

     

    ◎母は69歳〜79歳まで、それまで入院したことなかったのに3回入院(2回手術)でした汗アセアセ

     

    ◎下の弟は子供二人(甥っ子姪っ子)のお受験もあり子育て真っ最中の必死の時期でした汗アセアセ

     

     

     

    それまでは、

     

    父がいることでそれぞれバランスを保っていた実家であり、私たち家族でした!!!

     

    父が亡くなると、まるで支柱を失った家状態となり・・・グラグラでした唖然撃沈困惑

     

     

     

     

    あぁ〜・・・父がすべてを担っていたんやなぁ〜

     

    と家族はつくづく実感しました_| ̄|○_| ̄|○_| ̄|○

     

     

     

     

    母も私達兄弟も、今、実家にどれだけお金があるのかすら知りませんでした!!!暑い

     

    正直、母は年金と貯金でいけそうですが・・・弟は障害者年金をもらえないので

     

    このまま国民年金を支払って生涯生きていくには厳しい状況でした汗アセアセ汗

     

     

     

     

    それでもなんとかやっていくしかないので、、、

     

    残された私たち家族は、ここから手探りで必死で頑張りだしたのですが・・・

     

     

     

    ◎まったく精神的にも時間的にも金銭的にもあらゆる面で余裕がない状態だった

     

    ので、かなり上の弟にも”自立するように=働くように”強く言ったのです!!!

     

     

    (今から思えばこの時はまだ弟の病気を理解しきれていなかったんでしょうねぇ〜ふぅ〜ん

     

     

     

     

    「お父さんがいなくなったんやから、頑張って働こう!」

     

    「これからはもっとちゃんとした生活しなアカンで!!!」

     

    「あんまり今までみたいに甘えてたらアカン頑張ろう!」

     

    「まず職安に行って何か仕事をあるか探してきたらどう?」

     

     

    etc・・・・・・・・・・

     

     

     

    上の弟は実際に職安に行き何社かの求人募集のコピーを持って帰ってきました!

     

    私たち家族はそれをみて、、、びっくりびっくり楽しい楽しい拍手拍手拍手拍手

     

     

     

    「ちゃんと職安に行ってきたんやな!」

     

    「うんうん、なかなかこの会社いいやん!」

     

    「この仕事なんかどう?ええんちゃう?」

     

    「うんうん、あんたもやればできるやん!」

     

     

    etc・・・・・・・・・

     

     

     

    この時、ちょうどそれまで10年間通っていた社会復帰センターを体よく卒業

     

    という形をとられて上の弟は実家で何もせずにいたので余計私たちはいろいろ

     

    なことを言ってしまいました!!!

     

     

     

    お父さんも亡くなったのやから ちゃんとしてほしい

     

    自立してほしい 社会復帰してほしい ・・・・・・

     

     

     

     

    そう、母と私達兄弟3人は、、、

     

    こんな風に弟に徐々に徐々にプレッシャーをかけていってたのですあせ困る

     

     

     

     

    四葉のクローバー

     

     

     

     

    そして、

     

    ◎上の弟は、父が亡くなってから精神的に少しづつ不安定になっていき・・・

     

    父永眠から半年後、2007年1月薬のかため飲みで入院しました!!!(40歳)

     

     

     

    唖然  撃沈  困惑

     

     

     

     

    弟は27歳の時、初めて強制入院(医療保護入院)してから、、、

     

    実に13年半ぶりの入院となりました病院

     

     

     

     

     

    つづく

     

     

     

     


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